1.勅使門 (ちょくしもん)

正和年間(1312年~1316年)の建立
鎌倉時代朝廷の勅使が通られたと伝えられている門です。平素は扉を閉じてあったそうです。
四脚門という建築様式で、足利市の指定文化財です。
平成18年から19年にかけて大規模な保存修理が行われ、創建時の杮葺き(こうらぶき)屋根が復元されました。

2.本堂 (ほんどう)

本尊 釈迦如来は、正覚の像で悟りを開かれた時のお姿で安置されております。(足利市指定文化財)
天文22年(1553年)上杉謙信の兵火により焼失して以来、本堂の再建に難渋していたところ、徳川家光公により、御朱印を賜り本堂が再建されました。
本尊の西側に不動明王が安置されています。
この不動明王は江戸時代初期の彫刻です。
中央に本尊、脇に不動明王と両檀構えの様式となっております。

3.護摩堂 (五大尊堂) (ごまどう ごだいそんどう)

現在の護摩堂は享保17年(1732年)宥慶上人、宥学上人の時に建立されました。
そのお堂は朱に塗られ赤御堂(あかみどう)と当時呼ばれていたそうです。五大尊をお祀りしています。
五大尊とは即ち中尊に不動明王、東方降三世明王、南方軍荼利明王、西方大威徳明王、北方金剛薬叉明王です。
初詣や節分会追儺式の大護摩供や各祈願が行われます。

4.入定塚 (にゅうじょうづか)

安和元年(968年)11月24日 定宥上人が136歳で入定したといわれている塚が、入定塚として残っています。
定宥上人は天皇より定宥尊誉僧正という名誉ある名を追諡されました。
天慶の乱(939年)の平将門調伏祈願が成就したことで、世尊寺改め鶏足寺と改号しました。
鶏足寺では定宥上人のことを“改号上人”として尊んでおります。
寺では現在でも入定塚を浄域として大切にお守りしています。

5.閻魔堂 (えんまどう)

子供の頃「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるよ」とよく言われたものです。
閻魔様は実は地蔵菩薩の仮の姿です。
本体は慈悲深い地蔵ではありますが、死者が生前作った罪過を反省させるために、閻魔王という恐ろしい裁判官の姿になって顕われたのです。
天井の雲龍画は故高橋水雲画伯によって描かれたものです。

6.稚児大師 (ちごだいし)

弘法大師の幼い時のお姿を現したもので、お児(こ)さんの安らかな成育を祈って建立されました。

7.間引き地蔵尊 (まびきじぞうそん)

江戸後期、貧しさから母体がもたずに、生まれた子供を間引かなければならなかった悲しい出来事からこの地の坂西の人たちが供養のために建立しました。

8.延命観音

戦没英霊のご子息の菩提と平和への祈りを込めて木村ユキさんにより建立されました。
刀自はこの観音さまを念じて103歳の長命を全うしました。
平和祈願と寿命長久、安楽住生の功徳のある観音さまです。

9.七福神の池

福をお授けする七福神を祀り、参詣の皆様が福を得られるようお祈りし安置しました。

10.慈猛会館 (檀信徒会館) (じみょうかいかん)

平成12年建立の檀信徒会館。
本尊は大日如来で金剛界。
脇侍左に観音菩薩、右に不動明王を安置しております。
会館内は冷暖房が完備されています。
法事やお齋、各種講習会や写経の会などに利用されています。
トイレ等車いすの方にも不便なくお使いいただけます。

11.霊園

足利・太田方面をのぞむ高台に立地し自然に囲まれ静かな環境でお参りいただけます。

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12.樹木葬

鶏足寺樹木葬沙羅~śāla~と称し合祀、個別併設型の永代供養墓地です。時世の移り変わりに対応しご家族やご縁の方の供養を十全に行うため令和6年に建立されました。使用者及び後継者がいなくなられた際は使用者に代わり当山が管理します。

鶏足寺樹木葬 沙羅~śāla~の詳細はこちら >

13.ペットのお墓

家族の一員とも言えるペットを供養し慰霊するため令和3年に建立されました。どなた様でもお申し込みできます。