始まりは「鳴山」から生まれた一尊の石仏
その昔、周囲の山々が突然地鳴りを起こして揺れ動き、異様な音を出しはじめました。しばしの後、他の山は静まりかえり、一つの山だけがいつまでも鳴り続けます。山が音を出し始めて七日目、山は急激に大きく揺れ、そこから一尊の石仏が生まれました。土地に暮らす人々は皆、その山を「鳴山」と呼んで、崇めておりました。
数百年後の大同四年(809年)、平安時代の初期に「鳴山」は歴史の表舞台に現れます。
奈良東大寺の定恵(じょうえ)上人が、「鳴山」より生まれたこの石仏を山の麓に移し、釈迦如来をお祀りして「世尊寺一乗坊」というお寺を建てました。
仁寿元年(851年)、比叡山の円仁上人(慈覚大師)によって、寺の山号は「仏手山」、院号は「金剛王院」と定められました。
境域を大きく広げ、釈迦堂を始めとした八つの寺坊や山王社・蓮池などがつくられたたことで、お寺の構えが整いました。